頭城観音院の院長は法号が法雲と言う姉弟子で、本名は「曾惠卿」です。「南港観音寺」は、2002年に台湾の台北市南港区に創立されました。寺主に連れられまして一歩一歩着実に寺内全体は心を合わせて協力し、創立当初の困難と磨り合わせを経歴し、次第に強く成長してきました。2019年には、宜蘭県頭城鎮の寺産を購入しました。そして「有愚齋慈善共修協会」を引き受けました。2020年に「頭城観音院」落成の使命を完成しました。

経緯:

南港観音寺は2002年の陰暦の11月30日に設立されました。建設過程の初めに、台湾の中国明易センターの会長である林木標大家を謹んでお願い申しあげて、九星気学と八っ卦の原理を運用し寺院の前後に地相の明堂を設計し保ちました。天地の気を納入する亊ができて地相風水の宝地です。更に寺院の前には、観音菩薩から御賜わりの紫竹林があり、天の時、地の利、人の和をみんな持っていると言えます。

当時、主神は千手千眼観音菩薩であり、配祀神は済公禅師、玉女娘娘及び湄洲の媽祖娘娘でありました。所縁は玉女娘娘が寺主即ち法雲姉弟子の無形な尊敬の師父です。玉女娘娘は観音菩薩と媽祖娘娘が同一血脈そうです、当寺においでになって慈悲の胸にて衆生を済度しています。目前、台北の關渡玉女宮は玉女娘娘の清朝時代の住居です、十八歳の時に神様になって天に昇りました。現在、信徒たちは台湾、日本、カナダ、オーストラリア、中国大陸、その他の場所に広がっています。

南港観音寺は仏教と道教と共に修行をする廟宇です。多くの信徒は原因不明で疑問が起こり、なぜお寺と名付けられましたが信徒の疑難問題に応じる神がかりで働いていますか?

玉女娘娘から神がかりの御指示によりますと、当寺は一般の仏教寺院に違います。原因は天上の世界で仏教と道教が本来一統です、われわれ凡人はそれらを区別しています。当寺も一般の民間寺院と神の壇は異なります。又当寺は神の奇蹟を求めません。神がかりの神明はみんな信徒を要求し、業障は自ら弛まない努力で持経と懺悔の亊に依頼する必要で幾多の世代の冤業を取り除きます。自分がより良くなりたいならば、自分の理想に到達したいならば、天助、人助、自助がすべて必要で、一つも不可欠です。その中で自助は70%を占め、天助と人助はそれぞれ15%を占めます。従って、忍辱、精進、禅定は非常に重要です。重要なのは、世間で生まれた人は誰でも修行するべき一つの宿題があり、般若の知慧を使って克服しなければなりません。

法雲寺主は若い頃にお父様の国内お寺巡りツア-のガイド様の仕亊を手伝って、聞き慣れたり見慣れたりして神明と接触していました。仙仏の現われ化ける亊にかなり敬虔でした。

18歳の時、常に自分が済世度人の神仙俠女を幻想していました。

25歳の時、意図せずに台北の關渡玉女宮に行って参拝しましたが、意外にも、玉女娘娘はその夜の夢に現われ、神通力のある宝物を賜り、自分が玉女娘娘の親しい徒弟であると言明し、玉女娘娘と協力し働いて衆生を済度する亊が必要でした。半年後、玉女宮に属する兄弟子に開かれた廟宇で、宮主として廟務の處理をし10年間わたりした。

35歳の時、玉女娘娘から自分の寺廟を開こうとのお指示を言明しました、「南港観音寺」が成立しました。天命に沿う故に信徒たちはお参りが盛んです。その後、千手千眼観音菩薩の御指示を受け、廟宇を拡張する亊が必須です。炉下弟子たち団結一致をし、力が大変強くなってきました。本当にたった五年間の経過でした。当寺は有愚齋慈善共修協会と縁を結び、菩薩の恵みを感謝し、お手伝いをくれるいい人に経由し、仲介としてついに落着し、頭城道場を買いました。一年間の整理と修繕の後、2020年陰暦閏月の4月8日に「頭城観音院」の安座開光大典が完了しました。陰暦の5月14日に開幕剪綵典禮が行われました。陰暦の8月に毎週の土曜日午後2時30分から正式に頭城観音院で世間の済度のために働き始まりました。

同時に、有愚齋慈善共修協会は頭城鎮民代表会とすでに二回の貧困救済活動を挙行しました。2021年西暦の5月8日に慈善愛心園遊会も参加しました。並びに2021年西暦の10月23日に三回めの貧困救済大活動が行われます。

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